岩船大祭。石船神社とお船様「明神丸」
岩船大祭の中心・石船神社と、祭礼巡行の先頭に立つお船様「明神丸」。港町のまつりの核をたどる。
見るまつり 提供なし(自主取材)
一般のまつりでは神輿が行列の中心になりがちですが、岩船大祭は少し違います。市の案内では、お神輿ではなくお船様が祭礼巡行の先頭になるとされています。そのお船様が祀られるのが、石船[いわふね]神社です。
いつ、どこで
石船神社の例祭が、岩船大祭です。2026年は、10月18日(日)が宵祭、19日(月)が本祭。会場は村上市の岩船地区です。掲載時点の案内です。
まつりの全体像や九台のおしゃぎり屋台は、先に公開した案内もあわせてどうぞ。
石船神社というところ
観光協会の案内では、石船神社は『延喜式』の磐舟郡八座の筆頭に記された、歴史のある神社です。スポット案内では「磐舟郡総鎮守」とも紹介されています。
祭神について、観光協会の歴史ページは、饒速日命[にぎはやひのみこと]・みずはのめのみこと[罔象女命]・高おかみの神・暗おかみの神の四神、と書きます。饒速日命は物部氏の祖先神で、高天原から「天の石船」でお越しになった神様とされ、岩船の地名の由来になっている、との説明です。罔象女命以下の三柱は、貴船神社の神々です。
市の案内では、饒速日命は「船の神様」「海上交通の神様」とも言われる、とあります。水波女命は水の神、高おかみは止雨(晴天)の神、闇おかみは祈雨の神、とも紹介されています。
807年(大同2年)に秋篠朝臣安人[あきしのあそんやすひと]が社殿を建て、京都の貴布禰明神を勧請したと「伝えられている」、と観光協会は書きます。そのため「明神様」とも称されます。創祀を大化4(648)年、磐舟柵設置以前と伝える案内もありますが、ここでは断定しません。
社殿は明治29(1896)年に焼失し、明治32(1899)年に再建されました。社叢は天然ヤブツバキの群生地で県天然記念物(昭和33年指定)、と観光協会は案内しています。境内には磐船柵趾の碑と、松尾芭蕉の句碑が2基ある、とのことです。
10月19日の昼、祭礼巡行の途中の「第二御旅(浜のご旅所)」で行われる神事では、海上安全・大漁満足・商売繁盛・五穀豊穣などを祈願する、と市は書いています。
お船様「明神丸」
石船神社には、昔から「神様が神様の世界から人の世界に降りてきたときのための船」として「明神丸」が祀ってある、と市は紹介します。これがお船様で、石船神社の宝船です。
近くでは桃崎浜の荒川神社と瀬波浜町屋台にもお船様が残りますが、石船神社のように神霊が移るものではなく、飾りものという意味合いだけ、と市は書いています。
お船様を乗せるのは、岸見寺町[がんげんじまち]のおしゃぎりです。市の屋台ページでも、岸見寺町の飾りは「明神丸(お船)」と記されています。観光協会によると、岸見寺町の屋台は明治29(1896)年製作、見送りは波、平成2(1990)年に本体の大修理。一方、市は「岸見寺のお船様は明治29年に制作されたと言われている」と書いており、対象(屋台/お船様)の書き方が揃っていません。
なぜ、お船様が先頭なのか
市の説明では、石船神社のお船様は、おしゃぎりのない時代から、岩船大祭で神霊がお遷りになる乗り物として使われ、祭礼巡行の先頭となってきた、とされています。船にも神様を宿らせて船のお守りにした、という流れです。
江戸時代になって神輿が神社に奉納されると、神輿に神霊を移すようになった、とも市は書きます。いま、お船様が19日の朝に神社へ上るとき、宮司が「神様、どうぞ町をご覧になってきてください」という趣旨の祝詞をとなえるそうで、「今のお船様には神様がお移りになってはいません」と市は記しています。昔の名残で、お船様が神輿より先になっている、という説明です。
生きた馬の御神馬が巡行に参加していた頃、町の安全上、御神馬を神輿とともに先頭へ移せなかったことも、お船様が先頭のままになった理由の一つ「となっているようです」、と市は続けます。一方で、「お船様には神様が乗っている」と信じている人が多い、とも書いています。
同じ市のページには、遷霊式で御幣をお船様に乗せる、という記述もあります。矛盾して見える点は、ここでは解きません。市の書き方をそのまま並べます。
観光協会のスポット案内は、先太鼓と木遣りを先頭に、御舟屋台をはじめとした9基のしゃぎり屋台が共に御神幸する、と書いており、先頭の言い方が市と少し違います。「先頭はお船様」と書くときは、市の説明に従います。
岸見寺町の役と、まつりの山場
市が紹介する例年の流れは、およそ次のとおりです(2026年の実施可否や時刻は、掲載時点では未確認です)。
10月15日の夜、町内の「当宿[とうやど]」(その年の当番の家)にお船様が石船神社から下がってきます。お船様の掃除と飾り付けをします。
19日の朝、石船神社へ御霊を迎えに上り、神社で「遷霊式[せんれいしき]」(御霊遷しの神事)を行い、「御幣」をお船様に乗せます。
そして10月19日の夜遅く、先太鼓を先頭に岸見寺の若い衆がお船様を担ぎ、お宮のある明神山を上ります。市は、これを「岩船大祭のクライマックス」と書いています。19日の朝に神社へ上る場面と、夜遅くに明神山を上る場面が同じ行事かどうかは、出典に説明がありません。同一視はしません。
岸見寺町のおしゃぎりに乗る子どもは振り袖を着ます(市の案内では、上大町以外は女の子の着物地を使う、とされています)。
港町のまつりは、神社とお船様を軸に動いています。宵祭と本祭の二日間、その順番と空気を感じてみてはいかがでしょうか。
つづく。次回は、港町・岩船のこれまでと、岩船の味を取り上げます。
出典
出典・開示
開示区分 提供なし(自主取材)
出典は、本文の最後の「出典」にまとめています。