村上の城下町を歩く。四つの要素が残る町並みと、斜めに建つ家の「武者隠し」
城跡・武家屋敷・町屋・寺町の四つが今も残る城下町・村上。道に斜めの敷地割から生まれた「武者隠し」や大手通りの食い違い、小路の名に残る町の記憶を、観光協会の案内でたどります。
見る 提供なし(自主取材)
お城山のふもとに広がる村上の町には、江戸時代の町割りがいまも重なっています。観光協会の城下町の特集によると、村上は元和6(1620)年、村上藩主の堀直竒[ほり-なおより]によって整備された城下町です。
四つの要素が残るまち
観光協会は、村上を、城跡・武家屋敷・町屋・寺町という「城下町の四大要素」が今も残る、全国的にみても希少なまちだと紹介しています。
- 城跡は、町の東端にある臥牛山[がぎゅうさん]、地元でお城山と呼ばれる山の上にあります。
- 武家屋敷は、城跡を守るように広がる武家町にあります。重要文化財の若林家住宅のほか、約10棟の武家屋敷が残る、と観光協会の2017年のページは書いています。まいづる公園には、3棟の武家屋敷が移築復原されています。
- 町屋は、町人たちが暮らした旧町人町に残り、今も店や住まいとして使われています。
- 寺町は、城跡から見て武家町の右手奥にあり、曲がりくねった小路や黒塀が往時の風情を残している、と紹介されています。
道に斜めに建つ家、村上の「武者隠し」
武者隠しというと、ふつうは鍵型に曲がった道や城の入り口近くの隠れ場所、城内で護衛が隠れる部屋などを指す、と観光協会は説明しています。村上の武者隠しは、それとは少し違います。
村上では、城下町をつくった当初から、道に対して斜めに敷地を割りました。そのため建物も道に斜めに建ち、まっすぐな道の両側に多くの死角ができました。城下で敵に遭ったとき、家の陰に隠れて迎え撃つためのもので、これを村上では武者隠しと呼んだ、と観光協会は書いています。
建て替えで少なくなりましたが、歩道の端と建物のあいだに三角形のすき間が見つかることがあります。
旧町人町のあたりには、街道を二度直角に曲げた桝形[ますがた]の跡も見られる、と案内されています。
小路の名前に残る城下町
観光協会の特集では、村上ロータリークラブの村上小古路[ここみち]プロジェクトが作った「村上小古路マップ」から転載して、15の小路を紹介しています。小路には案内板が設置されている、とあります。そのうちのいくつかです。
- 大手通りは、大町から城の正門だった大手門に至る道です。門は枡形の形式で、今の道路にある「食い違い」は、ここが大手門だったことの名残だと書かれています。
- 筏場[いかだば]通りの名は、三面川[みおもてがわ]の上流から筏を組んで流してきた木材の陸揚げ場に由来します。近年まで、塩町と加賀町には材木屋や製材所が集まっていた、とあります。
- 安善小路[あんぜんこうじ]は、小町から寺町へ抜ける小路で、安善寺に由来します。今は黒塀小路(黒塀通り)とも呼ばれますが、黒塀は景観整備で設けたもので、当時はなかった、と書かれています。
- 五軒丁通りは、5軒の武家屋敷が並んでいたことに由来します。武家地と町人地が隣り合うところは多くない、と紹介されています。
町屋のなかをのぞく
町屋のつくりは、町屋の屏風まつりの記事で取り上げました。観光協会は、町屋の人形さま巡りや春の庭 百景めぐり、町屋の屏風まつりなどの催しの期間には、ふだんなかなか見られない町屋の内部を見学できる、と案内しています。内部を公開している店もありますが、公開の有無や日時は、その時の案内で確かめてください。
記事の内容は、掲載時点の観光協会の案内にもとづいています。
出典
出典・開示
開示区分 提供なし(自主取材)
出典は、本文の最後の「出典」にまとめています。