村上・瀬波の日和山と方角石。北前船の船乗りが天候を見たとされる場所
北前船の寄港地だった村上市の瀬波には、船乗りが出港前に天候を見たとされる日和山と、方角を見るための方角石が残っています。港町の歩みと八坂神社の和船模型も合わせて、市の計画書からたどります。
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村上の城下から西へ約2kmの瀬波は、北前船の寄港地だった港町です。町には、その名残として日和山[ひよりやま]と方角石[ほうがくいし]が今も残っています。
この記事では、村上市の「歴史的風致維持向上計画(第2期)」と「文化財保存活用地域計画」、市の北前船日本遺産のページをもとに、瀬波の日和山と方角石を紹介します。
城下の外港だった瀬波
計画によると、瀬波町は村上城下を西へ約2kmの所にあり、三面川の河口に近いことから港町として発展し、村上城下の物資の出入口となった町です。
享保3(1718)年の『瀬波町明細帳』によれば、瀬波港には300石積が1艘、100石積が3艘、商船や渡し船が36艘あったとされています。蒲萄山で掘り出された鉛も、この港から佐渡へ積み出され、金の精錬に用いられたと計画は記しています。
港を一望できる浜町(今の瀬波浜町)には、出入りする船や積み荷を取り締まるため、村上藩の番人の詰め所である「沖ノ口番所」が置かれ、「お番所屋敷」と呼ばれていました。
船乗りが天候を見たとされる日和山
計画によると、北前船の船乗りたちは、出港前に風や潮の流れを見て天候を見極めていました。その天候を見た場所とされるのが日和山です。
日和山には、方角を見るための方角石が据えられています。方角石には「奉納 豊福丸」に続けて名前が刻まれていることから、町で整備したものではなく、船乗りから寄贈されたものと考えられる、と計画は説明しています。
市の文化財保存活用地域計画も「日和山と方角石」を、北前船の船乗りたちが出港前に日和を見た場所で方角石が現存する、と紹介しています。指定の欄は未指定です。
八坂神社の和船模型
瀬波の八坂神社には、和船模型が多数奉納されています。計画によると、北前船の船乗りたちが航海の安全を祈って、江戸時代後期から明治時代にかけて奉納したもので、日本遺産の構成文化財の1つになっています。
地域計画では「八坂神社の船絵馬と和船模型」として載っていて、指定の欄は一部市指定(歴史資料)です。
北前船と瀬波のほかの記事
村上市は令和6年6月、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」に追加認定されました。日本遺産と村上の港町の全体は村上の歴史 第7回で、瀬波の温泉街は村上の歴史 第14回で紹介しています。
この記事は、2026年10月23日に確認した村上市のページと計画書をもとにしています。
出典
- 村上市歴史的風致維持向上計画(第2期)(PDF)|村上市(令和8年3月。本文は紙面165(PDF171)による(2026-10-23閲覧))
- 村上市文化財保存活用地域計画(PDF)|村上市(令和7年(2025)11月。本文は紙面42(PDF45)による(2026-10-23閲覧))
- 北前船日本遺産|村上市(2025年11月4日更新(2026-10-23閲覧))
出典・開示
開示区分 提供なし(自主取材)
出典は、本文の最後の「出典」にまとめています。