村上大祭 第3回。屋台の乗せ物と彫刻・堆朱
村上大祭のおしゃぎり屋台。二輪二層の囃子屋台に、彫刻と堆朱・堆黒、各町自慢の乗せ物やからくりがあります。肴町・塩町・上町など代表例で紹介します。
見るまつり 提供なし(自主取材)
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第1回・第2回で見た村上大祭の行列を、屋台そのものから眺めます。**村上の伝統産業である彫刻や漆塗りを施し、金銀の飾りをつけたシャギリ屋台が、旧城下を巡ります。**市の見どころ紹介では、彫刻に堆朱[ついしゅ]・堆黒[ついこく]の粋をこらしたオシャギリ、各町内の自慢の乗せ物、中にはからくり仕掛けのものもある、とあります。市は県下三大祭りの一つ、とも紹介しています。
おしゃぎりのかたち
公式ホームページでは、「しゃぎり」は囃子[はやし]を指し、しゃぎり屋台を愛着を込めて「おしゃぎり」と呼ぶ、とあります。市の屋台紹介も、村上大祭に曳きだされる山車を村上では「おしゃぎり」という、と書いています。二階建てで、一階は囃子台、二階は飾り台。車輪は二輪で直径約2メートル、漆塗りの鏡面仕上げが一般的で、「二輪二層式囃子屋台」と呼ばれます。文化庁の解説でも、屋台は新潟県下越地方によく見られる二層二輪形式で、一層目に囃子方、二層目に乗せ物と呼ぶ人形類を乗せる、とあります。形態はニワカ屋台・お囃子屋台・シャギリ屋台の3種で、ニワカからお囃子へ、あるいはニワカやお囃子からシャギリへ展開した、とも文化庁は書いています。公式も、にわか屋台・囃子屋台・しゃぎり屋台の3種を挙げています。
市の屋台紹介では、呼び名の由来は歌舞伎・狂言の「しゃぎり」からとも言われる、とあります。寛永十年の大八車が始まりで、その後花車・仕組屋台・大名行列などへと変わり、次第に彫刻や塗りが施され、享保年間にはほぼ現在のような堆朱堆黒の豪華な屋台になった、と市は伝えています。
代表例で見る乗せ物と彫刻
19町すべてを並べるのではなく、市が伝える年代と乗せ物の代表例をいくつか挙げます。掲載時点の案内です。
肴町[さかなまち]の屋台は宝暦十年(1760)造で、現存最古です。乗せ物は鯛に乗った恵比寿で、京都で同年に造られた、と市は書いています。見送りなど彫刻は「宝尽くし」です。塩町[しおまち]は安永元(1772)年造で二番目に古く、乗せ物は「猩々[しょうじょう]」です。
上町[かんまち]は嘉永三(1850)年。名工・有磯周斉[ありいそ-しゅうさい]が中心となり、彫刻は近世村上彫刻の粋、と市・観光協会は紹介しています。乗せ物は「梵鐘」で、銘に「寛永十年六月吉日」「羽黒大権現」とあり、遷宮・起源の年を刻んでいます。
長井町[ながいまち]は明治初年に再建。乗せ物は布袋様(京都造)で、村上の屋台の乗せ物の中では唯一のカラクリ人形です。顔を左右に振ったり舌を出す、と市は伝えています。大工町[だいくまち]は寛政八(1796)年造。軽量化の工夫があり、乗せ物は謡曲「高砂」です。
つづく。次回は、村上の歴史シリーズ第2回・村上藩(堀氏・松平氏・内藤氏)を取り上げます。
出典
出典・開示
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