お茶の知識。村上茶とは何か、市の案内と市報から
新潟県村上市の特産・村上茶について、市の特産品案内と市報むらかみ(2020年5月1日)をもとに、北限の茶処としての特徴と伝えられる由来をまとめます。
お店 提供なし(自主取材)
【編集エラー】見出し「どんなお店か」がありません。
【編集エラー】見出し「いちばんの特徴」がありません。
【編集エラー】見出し「飲んでみてほしい理由」がありません。
村上茶[むらかみちゃ]は、新潟県村上市でつくられるお茶です。市の特産品案内と、市報むらかみの特集をもとに、公的な案内で確かめられる範囲をまとめます。
北限の茶処としての村上茶
村上市の特産品案内によると、村上茶は「北限の茶処」として知られ、独特のまろやかさで親しまれている、とあります。毎年5月になると新茶の摘み取りが始まり、店頭に並び始める、というのが同案内の書き方です。
市報むらかみ(2020年5月1日)は、厳しい冬の気候と積雪に耐え、商業的な栽培としては北限の村上茶だと書いています。日照時間が少ないことからタンニンの含有量が抑えられ、味わいはやさしく、まろやかな渋みが特徴、というのが同特集の説明です。茶摘みの季節は5月中旬から、とあります。
伝えられる由来(諸説あり)
市報によると、村上茶の歴史は古く、産業になったのは江戸初期だと伝えられています。誰によって持ち込まれたかは諸説あり、次のような説が紹介されています。
ひとつは、村上町の大年寄を務めた人物が伊勢神宮参拝の際に茶の種子を宇治から持ち帰り、植えさせた、という説です。もうひとつは、村上城主が江戸駒込の藩邸で栽培されていた茶の種子を村上に移植し、その人物が栽培した、という説です。市報は、どちらにしても同じ頃に村上でお茶の産業になったと言われ、2020年の時点で400年を迎える、と書いています。
この記事では、由来のどれが正しいかを決めず、「諸説あり」のまま扱います。
明治〜大正の広がりと、紅茶の試み
市報によると、村上茶の作付面積や収量は、明治後期から大正にかけてが最も多く、かつては東京ドーム126個分ほどの面積があった、とあります。この時代、村上茶は海外にも輸出されるようになり、アメリカやロシアへお茶や種子が渡った、というのが同特集の書き方です。明治18年には、日本郵船の商船を瀬波まで回航させてお茶の輸出を行った、ともあります。
また、アメリカでは一時、緑茶と紅茶が競い合う時期があり、紅茶が優勢になったことを受けて、村上でも明治11年に設立した「村上製茶会社」で紅茶の製法を学び、生産と輸出を行ったことがあった、と市報は書いています。
戦後は、茶畑の転用や宅地造成などにより面積は少なくなった一方、今でも青々とした茶樹の畝は日常の光景であり、村上茶は地元が誇る産業だ、というのが同特集の結びです。
この記事で書いていないこと
淹れ方の細かい手順や、効能・体への働きの話は、この出典だけでは確かめきれないので書いていません。お店ごとの味や商品の案内は、むらかみてちょうのお茶の特集や、むらかみ小箱のページで別途そろえていきます。
出典
- 村上の特産品-村上茶|村上市(2018年4月1日更新(2026-10-25閲覧))
- 市報むらかみ 2020年5月1日号 P2–3「村上茶が誕生してから400年目を迎えます」(PDF)|村上市(2026-10-25閲覧)
出典・開示
開示区分 提供なし(自主取材)
出典は、本文の最後の「出典」にまとめています。