村上の自然 第6回。平林不動滝、要害山の清水が集まる滝と岩の祠
村上市神林地区、平林城跡のある要害山の中にある「新潟県の名水」平林不動滝。清水が集まってできる滝、滝つぼの奥の岩の祠、色部氏と目薬の言い伝え、山道の歩き方を、県と観光協会のページをもとに紹介。
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村上市神林地区の平林[ひらばやし]に、平林不動滝[ひらばやしふどうたき]があります。新潟県の「下越地域の『新潟県の名水』」のページで、村上市の欄に、前回の鰈山清水などと並んで載っている滝です。
県のページによると、不動滝は、国指定史跡の平林城跡がある要害山[ようがいさん]の山中にあります。平林城跡と色部氏[いろべし]のことは、村上の歴史 第5回で取り上げました。
山じゅうの清水が集まってできる滝
県のページは、要害山には至る所に清水が湧き出ていて、それらが流れ込んで不動滝をつくり、滝矢川として下流へ流れている、と説明しています。途中には「波滝」と呼ばれる、岩肌をなめらかに流れ落ちる滝もある、とあります。
滝つぼの奥の祠と石像
県と観光協会のページによると、不動滝の滝つぼの奥には、岩を削って造られた祠[ほこら]があります。祠には数百年前から、大日如来と不動明王の石像が、童子の石像とともに安置されている、と書かれています。
観光協会のページには不動堂の写真もあり、休憩に利用できると添えられています。不動堂の中には、不動明王の立像が安置されているそうです。
色部氏と目薬の言い伝え
観光協会のページには、「不動滝と目薬の由来について」という説明が載っています。それによると、永禄のころ、色部氏の第13代・勝長が、上杉謙信の命で川中島の合戦へ出陣するにあたり、領内の安泰と戦勝を祈って不動滝に祠を築き、大日如来と不動明王の石像を安置したものと推測されている、とあります。
同じ説明によると、天正のころには、信州松本の小笠原貞慶の一族が色部氏を頼って家臣となり、軍法や兵法、馬術、さらに目薬の製法まで色部氏に伝えたといいます。色部氏は領民のために不動滝の水を使って目薬づくりに努めたといい、それ以来、無病息災や家内安全のご利益を求める人や村の人たちが、多くお参りに訪れたと伝えられています。どれも、観光協会のページに言い伝えや推測として載っている話です。
不動堂の再建と水害
観光協会のページによると、不動堂がいつ建てられたかはわかっていません。江戸時代後期の1813年に、権三郎という人が再建したという文献の記録がある、とあります。
その後、昭和42年の羽越水害で、不動堂と参道の林道山沿い線は壊滅的な被害を受けた、とあります。同じページには、参道の改修工事が終わり、不動堂を新しく建て直して、新たに刻んだ不動明王の立像を迎えて安置した、と書かれています。それがいつのことかは、ページには書かれていません。
滝までは山道を歩いて約50分
県のページによると、日本海東北自動車道の荒川胎内ICから国道7号で平林集落に入り、金毘羅神社前の駐車場まで車で約15分です。そこから「御不動様登山道」を歩いて約50分で滝に着きます。観光協会のページでは、駐車場の場所を「古刀比羅(金比羅)神社前」と書いていて、JR羽越本線の平林駅から駐車場までは歩いて約25分とあります。
観光協会のページは、滝へ向かう山道(不動滝登山道)はぬかるんでいたり、急な上り下りがあったりするので、履きなれた靴、できれば登山靴で来てほしいと呼びかけています。クマやヘビ、ハチといった危険な動物や昆虫にも十分注意するように、とあります。
道の状況などは、下の県・観光協会のページで、掲載時点の案内を確かめてください。
つづく。次回は、桃川のおたきさまを取り上げます。
出典
出典・開示
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