村上の歴史 第12回。青砥武平治と種川の制
村上藩士・青砥武平治は、鮭の回帰性に着目し、三面川を本流とするバイパスで産卵とふ化を助ける「種川の制」を考案したと市は紹介します。明治の人工ふ化まで、市の案内でたどります。
知る歴史 提供なし(自主取材)
第11回では、漆山[うるしやま]神社と村上の漆[うるし]をたどりました。今回は、三面川[みおもてがわ]の鮭[さけ]と結びついた人物と制度として、青砥武平治[あおと ぶへいじ]と「種川[たねかわ]の制」を取り上げます。塩引き鮭のつくり方や家庭の加工の話は、別の記事に任せ、ここでは市が紹介する増殖の仕組みと、その後の人工ふ化に絞ります。
回帰性に着目した村上藩士
市によると、青砥武平治は村上藩士です。見出しでは「世界で初めてサケの自然ふ化増殖に取り組んだ男」と紹介され、副題でも自然科学的な発想が生み出した鮭増殖の仕組み、という書き方がされています。「世界で初めて」は市の表現であり、この記事では市の言い方として紹介します。
市は、鮭が生まれた川に帰る「回帰性」に着目したのが一人の村上藩士だった、と書きます。武平治は三両二人扶持[さんりょうににんぶち]の小身から七十石の士分にまで昇進した、才気あふれる人だった、というのが市の紹介です。一方で、彼個人についての詳しい史料は残っていない、と市自身が記しています。
種川の制とは
市によると、武平治は増殖などだれも思いもおよばなかったころ、鮭の自然ふ化増殖システム「種川の制」を考案しました。これは、三面川を本流とするバイパスをつくり、産卵を促してふ化を助ける、というものです。回帰性を生かした、自然科学に基づく仕組み、というのが市の書き方です。
年代について、市のページには「今から約二百五十年前」と「二百年前」の両方の表現があります。どちらも市のページ内の言い方で、2018年4月1日更新のページの表現です。「今から」はそのページを書いた時点からの年数です。制定の年は、この記事では断定しません。この記事の出典は、市のページもイヨボヤ会館のサイトも、制度化した人物を書いていません。市は武平治を考案者として紹介しています。
市は、武平治の志は母なる川・三面川の精として後世に伝えられ、村上は鮭漁、人工ふ化から加工、料理まで、鮭のすべてにわたって日本をリードしてきた、とも書いています。加工や料理の細目はこの記事では扱いません。
明治の人工ふ化と、イヨボヤ会館
市によると、その後村上では、明治十一年にアメリカのふ化技術を取り入れた日本初の人工ふ化に成功しました。減少していた鮭の遡上[そじょう]数も、明治十七年に七十三万七千尾を記録するまでに増えた、というのが市の書き方です。数字は市のページに載る記録であり、いまの遡上数ではありません。
市は、青砥武平治や種川についてもっと知りたい方は、日本最初の鮭の博物館「イヨボヤ会館」へ、と案内しています。イヨボヤ会館の公式サイトによると、イヨボヤとは村上の方言でサケのことです。会館は三面川の畔の鮭公園のなかにあり、サイトは、三面川の分流「種川」に観察窓を設けていると紹介しています(武平治が考案した種川と同じ名前です)。窓からは、川の中の様子を自然のままに観ることができる、とのことです。季節により産卵やふ化の様子を観察できる、というのが市の観光施設案内の書き方です。入館料・開館時間・休館日・連絡先はこの記事では書きません。最新の案内は施設や市のページで確かめてください。市のページは2018年4月1日更新で、掲載時点の案内です。
つづく。次回は、イヨボヤ会館での観察と産卵を取り上げます。
出典
出典・開示
開示区分 提供なし(自主取材)
出典は、本文の最後の「出典」にまとめています。
シリーズの記事 村上の歴史
- 村上の歴史 第1回。国史跡・村上城跡、お城山に残る戦国と江戸
- 村上の歴史 第2回。村上藩、堀氏から内藤氏へ続く城下の歩み
- 村上の歴史 第3回。戊辰戦争と村上城下、戦火を逃れた町並み
- 村上の歴史 第4回。本庄繁長と永禄の籠城戦、地利無双の城地
- 村上の歴史 第5回。平林城跡と色部氏、中世の山城と居館
- 村上の歴史 第6回。重要文化財・若林家住宅、村上藩の中級武家屋敷
- 村上の歴史 第7回。北前船寄港地と日本遺産、村上の港町
- 村上の歴史 第8回。岩船港の沿革、県北の基幹港の歩み
- 村上の歴史 第9回。奥三面ダムと旧三面集落、あさひ湖のふるさと
- 村上の歴史 第10回。奥三面遺跡群と縄文の里・朝日
- 村上の歴史 第11回。漆山神社と漆
- 村上の歴史 第12回。青砥武平治と種川の制いま読んでいる記事
- 村上の歴史 第13回。イヨボヤ会館、観察窓と産卵