村上の歴史 第10回。奥三面遺跡群と縄文の里・朝日
村上の奥三面遺跡群。ダム建設に伴う発掘で19遺跡・約16haを調査。出土品は縄文の里・朝日(奥三面歴史交流館)で公開され、元屋敷遺跡の出土品は市によると国の重要文化財です。
知る歴史 提供なし(自主取材)
第9回では、奥三面ダム[おくみおもてだむ]と旧三面集落の移転をたどりました。そのダム建設に伴い、一帯では大規模な発掘調査が行われました。県によると、昭和63年から朝日村教育委員会が記録保存のための発掘を進め、11年にわたる現地調査を平成10年12月に終えています。
19遺跡・約16ヘクタールの調査
県の「奥三面の遺跡」によると、朝日村大字三面は通称「奥三面」と呼ばれ、三面川[みおもてがわ]の上流域に位置し、標高は約200メートル、周囲には約3万ヘクタールの朝日山地が広がる、とあります。発掘調査は奥三面ダム建設のため、ダム事業費で行われた、というのが県の説明です。
これまで19遺跡、面積約16ヘクタールが調査され、旧石器時代(約3万〜1万3千年前)、縄文時代(約1万2千〜2千4百年前)、弥生時代(約2千年前)、古墳時代(約千7百年前)、江戸時代(約4百〜百3十年前)の生活の跡や土器・石器などが発見された、と県は記しています。遺跡名としては、元屋敷、アチャ平、下クボ、脇の沢など19か所が並びます。
市と県は、奥三面ダムの建設により、縄文時代を中心とした奥三面遺跡群が水没した、と書いています。水没したのは上流側の奥三面ダム側であり、下流側の三面ダム(県によると昭和28年完成)とは別のダムです。
環状配石と、人体像を彫刻した岩版
県のページは、発掘で見つかったものの例として、環状配石(ストーンサークル)と、人体像を彫刻した岩版を紹介しています。
環状配石は縄文時代後期・約4,000年前で、長さ40〜60センチメートルくらいの大きな石が丸く並べられ、直径は約6メートルほど、とあります。人体像を彫刻した岩版は縄文時代晩期・約3,000年前で、石に人の顔を彫ったもの(高さ約12.7センチメートル)、というのが県の書き方です。
元屋敷遺跡の出土品と、縄文の里・朝日
市の「縄文の里・朝日」ページによると、平成27年9月から、奥三面遺跡群・元屋敷遺跡の出土品1,718点が国指定重要文化財となった、とあります。 文化庁の国指定文化財等データベースでも、「新潟県元屋敷遺跡出土品」が重要文化財(平成27年9月4日指定、計1,718点)と記載されています。
市によると、奥三面歴史交流館(縄文の里・朝日)では、ダムに沈んだ奥三面が残してくれたものを展示し、ものづくり体験を通して伝えていきたいと考えている、とのことです。市の奥三面ダムの案内でも、遺跡で発掘した土器などは平成17(2005)年7月にオープンした同館で一般公開されている、と記されています。
市のページに掲載されている体験メニューの例としては、火起こし体験、まが玉づくり、石器づくり、あんぎん織り、ヒヅツ織りなどがあります。市は、休館日以外はスタッフが常駐し、飛び入りの体験希望も歓迎する、イベント時以外は予約申し込みが不要(ただし10人以上の団体は事前連絡)、と案内しています。体験の料金や詳細な受付条件、休館日はこの記事では書きません。食堂や売店のメニュー・価格も扱いません。掲載時点の案内です。
なお、2025年9月5日更新の市のページは、令和8年7月から使用料等の見直しを予定すると告知していました。その後の内容は確認していないので、最新の案内は市のページで確かめてください。連絡先や問い合わせ先は、この記事では書きません。
つづく。次回は、漆山神社と漆を取り上げます。
出典
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開示区分 提供なし(自主取材)
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