村上の歴史 第1回。国史跡・村上城跡、お城山に残る戦国と江戸
標高135メートルの臥牛山に残る国史跡・村上城跡。本庄氏の本拠から北越後の拠点へ。戦国の遺構と江戸の石垣が混在するお城山を公式案内でたどります。
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村上市街を見下ろす緑の山。地元ではお城山[おしろやま]と呼ばれる一帯が、国指定史跡の村上城跡[むらかみじょうあと]です。標高135メートルの臥牛山[がぎゅうさん]に築かれた平山城で、天守櫓[てんしゅやぐら]や門などの建造物はいま残っていませんが、戦国の竪堀[たてぼり]・虎口[こぐち]と、江戸の石垣が混在して残る姿が貴重だ、と市は案内しています。
築城年代は不明で、16世紀前期には城が存在したと考えられる、と市は記しています。文化庁は、中世から近世にかけて揚北[あがきた]地方(越後北部)の中心的な役割を果たした城だ、とも解説しています。建物はない代わりに、山そのものが城の形を語る場所です。戦国と江戸、二つの時代の遺構が同じ山に重なって残っている、というのが市の案内の要点です。
本庄氏の本拠と、上杉との籠城戦
戦国時代、この城は本庄氏[ほんじょうし]の本拠でした。当時は本庄城[ほんじょうじょう]とも呼ばれます。市の案内では、永禄11(1568)年の上杉謙信[うえすぎ-けんしん]との籠城戦[ろうじょうせん]など、何度も戦いが繰り広げられた、とあります。
文化庁の解説では、本庄繁長[ほんじょう-しげなが]は一時上杉氏に従ったものの、永禄11年3月、武田信玄[たけだ-しんげん]の誘いに応じて反旗を翻し、上杉輝虎[うえすぎ-てるとら](市の案内では上杉謙信)の軍に包囲された、とあります。繁長は、「南方は深田洋々として湖水の如し、西は大海原、特に大河は郭をめぐり、地利無双の城地たり」とする『上杉年譜』の引用にある地利を頼んでよく凌いだが、結局孤立し、翌永禄12(1569)年2月、米沢の伊達氏[だてし]・会津の芦名氏[あしなし]の仲介で輝虎に降り、嫡子を人質として春日山に送った、と文化庁は書いています。包囲から開城までの長さは、出典によって書き方が違うため、ここでは断定しません。
臥牛山の東面には、本庄氏時代の腰ぐるわや竪堀、土塁、井戸跡なども良好に残る、と文化庁は記しています。本庄氏の治世の終わりについては、第1回では詳しく書きません。
北越後の拠点へ、そして国史跡へ
江戸時代に入ると、村上氏・堀氏・松平氏らが城の改造と城下町の建設を進め、村上城は北越後[きたえちご]の中心拠点として整備された、と市は伝えています。文化庁によると、堀氏は縄張りと作事を進め、近世城郭としての村上城が完成した、とあります。その後も城主は交代しますが、享保5(1720)年以後は内藤氏[ないとうし]が代々城主を務め、明治維新を迎えます。文化庁の解説では、内藤弌信[ないとう-かずのぶ]が5万石で入り、以降8代・150年近く続いた、とあります。松平氏など各家の入封の細かな年次は、出典で食い違う箇所があるため、第1回では深く踏み込みません。
山上には本丸天守台、二ノ丸の乾櫓[いぬいやぐら]・巽櫓[たつみやぐら]など、三ノ丸の月見櫓などの跡が残り、石垣は高さ8メートル近く、山頂の各部にくまなく巡らされている、と文化庁は記しています。山下には居屋敷・一文字門[いちもんじもん]などの跡、藤基神社[ふじもとじんじゃ]境内には外郭の土塁も残り、石垣も使われています。中世の遺構と近世の遺構が渾然一体として残る姿は貴重だ、というのが文化庁の指定の趣旨です。
村上城跡は平成5(1993)年に国史跡に指定され、平成14(2002)年に追加指定がありました。指定の日付は平成5年6月8日と、文化庁のデータベースに記載されています。平成12(2000)年からは、破損した臥牛山上の石垣の積み直し修理が始まり、市の案内(2023年時点)では継続中とされています。出かける前に、最新の工事状況は市のページで確かめてください。
お城山への歩き方
山麓から山頂までは徒歩約20分。小鳥のさえずりと緑に包まれた城跡は、訪れた人の憩いの場にもなっている、と市は書いています。山頂からは市街を見渡せます。JR村上駅からは徒歩約25分。車で向かう場合、周辺は道幅の狭い住宅地ですれ違いができず、大型バスは駐車スペースまで通行不可とされています。市は車で来るときのルート案内ページも用意しているので、出かける前に確認すると安心です。料金や問い合わせ先は、この記事では書きません。掲載時点の案内です。
つづく。次回は、村上藩の城主交代——堀氏・松平氏・内藤氏と、享保5年の内藤氏入封——を取り上げます。
出典
出典・開示
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出典は、本文の最後の「出典」にまとめています。
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