村上の歴史 第5回。平林城跡と色部氏、中世の山城と居館
色部氏の居城だった国史跡・平林城跡。室町から慶長3年まで続いた中世の山城と居館が、廃城後も大きな改変なく残ります。市と文化庁の解説でたどります。
知る歴史 提供なし(自主取材)
写真は掲載許可の確認中
村上市の平林[ひらばやし]に、国指定史跡の平林城跡[ひらばやしじょうあと]があります。小泉荘加納[こいずみのしょうかのう]の国人領主[こくじんりょうしゅ]・色部氏[いろべし]の居城で、室町時代から慶長3(1598)年まで続いた、中世の山城と居館の跡です。 第1回から第4回でたどった臥牛山[がぎゅうさん]の村上城とは別の城で、色部氏は、北越後で重きをなした国人領主です。
市の案内によると、色部氏がこの城を離れたあとは廃城となり、大きな土地の改変が行われなかったため、中世の遺構が今日まで良好に残る稀有[けう]な山城跡として、昭和53(1978)年9月18日に国の史跡に指定された、とあります。文化庁のデータベースにも、同日の指定が記載されています。
色部氏が平林に拠るまで
市の案内では、色部氏ははじめ鎌倉に住んでいたが、13世紀後半ごろ(鎌倉時代)、為長[ためなが]の子・公長[きんなが]が越後に移ってきたようだ、と書かれています。当初の本拠地は不明で、姓から「小色部」付近が比定されている、ともあります。平林城跡に本拠(館)を移した時期はよくわからないが、15世紀末(戦国時代)には平林城が色部氏の居城となっていたと考えられる、というのが市の書き方です。
文化庁の解説は、もう少し広い枠で位置づけます。小泉庄は越後国北端の岩船郡中央部を占める広大な荘園で、平安時代末ごろには庄域が本庄と加納から成っていた、とあります。鎌倉幕府成立後は二分され、秩父氏の一族が臥牛山城(村上城)を居城として本庄氏を名乗る一方、加納の地頭は平林城に拠って色部条・牛屋条および日本海上の粟島を領し、やがて色部氏を称した、というのが同解説の骨格です。色部氏の所領支配は鎌倉から室町時代を通じて大きな変動もなく続き、戦国時代には国人領主として北越後に重きをなした、と文化庁は書いています。
上杉氏の重臣へ、そして廃城へ
文化庁によると、上杉氏による越後一国の領国化が進む過程で色部氏は服属関係を結ぶが、守護代・長尾氏による「下剋上」に当たっては上杉方に付き、その結果、長尾方の中条氏らに攻められ、永正5(1508)年5月に平林城は陥落し、色部氏は長尾方に降服した、とあります。長尾氏が主家・上杉氏の名跡を襲った後は、色部氏は重臣として遇されてきた、というのが同解説の範囲です。上杉との関わりは、文化庁の記述の範囲で書きます。
慶長3(1598)年、上杉景勝[うえすぎ-かげかつ]の会津転封に伴い、色部氏も本領を離れて金山城[かねやまじょう]に入り、平林城は廃城となった、と文化庁は続けています。移転先の書き方は出典で少し違います。市は「出羽国金山城(山形県南陽市)」と記し、文化庁は「米沢に1万石を与えられ……金山城に入り」と記します。
廃城前の姿は、文禄4(1595)年の上杉景勝の領内検地に基づく、慶長2(1597)年の「越後国瀬波郡絵図」に描かれている、と市は案内しています。居館には塀を巡らせ、中央に櫓門や数棟の建物が見られる一方、背後の山城は「加護山古城」と記されていることから、すでに山城は廃されていたようだ、というのが市の説明です。
要害山と、麓の居館跡
文化庁は、遺構が標高281メートルの要害山[ようがいさん](古名は加護山[かごやま])とその西北麓にみられる、と解説しています。館跡は平野に面する西側を大手(正面の出入口)とし、大別して3郭に分かれる、とあります。西南の最も大きな郭は「岩館」と通称され、北西隅に虎口[こぐち]を開き、東には続く郭があり、さらに東に「殿堀」と呼ばれる空堀がある。昭和49年に新潟県教育委員会が発掘調査を行い、ここに架設された木橋の橋脚を検出したが、この橋を渡った東には「殿屋敷」とよばれる館の最も主要な郭がある、というのが同解説の記述です。
詰城[つめじろ]の置かれた要害山は、館跡から山頂まで1.7キロあり、途中に水場や「物見山」「のろし山」等の要所がある、と文化庁は書いています。山頂は2段に削平(地面を平らにならすこと)され、東側の尾根には2か所の堀切(尾根を断ち切る堀)が認められる、ともあります。(かっこ内の語の説明は、出典の言い回しではなく、用語の一般的な意味です。)これらの遺構は極めて良好に保存されており、鎌倉時代の地頭の居館を起源とする城館遺跡として中世史を理解するうえで好個の資料を提供する、というのが指定解説の趣旨です。
市の案内では、居館跡・山城跡の縄張り図や、整備事業(暗渠排水、杉の伐採、紹介スペースを併設したトイレ、遺構の確認調査など)にも触れています。出かける前の最新の公開状況は、市のページで確かめてください。料金や問い合わせ先は、この記事では書きません。掲載時点の案内です。
つづく。次回は、国の重要文化財・若林家住宅を取り上げます。
出典
出典・開示
開示区分 提供なし(自主取材)
出典は、本文の最後の「出典」にまとめています。
シリーズの記事 村上の歴史
- 村上の歴史 第1回。国史跡・村上城跡、お城山に残る戦国と江戸
- 村上の歴史 第2回。村上藩、堀氏から内藤氏へ続く城下の歩み
- 村上の歴史 第3回。戊辰戦争と村上城下、戦火を逃れた町並み
- 村上の歴史 第4回。本庄繁長と永禄の籠城戦、地利無双の城地
- 村上の歴史 第5回。平林城跡と色部氏、中世の山城と居館いま読んでいる記事