村上の歴史 第9回。奥三面ダムと旧三面集落、あさひ湖のふるさと
村上の奥三面ダム(あさひ湖)。昭和42年の羽越水害を契機に建設され、平成13年10月に完成。下流の三面ダムとは別で、旧三面集落は昭和60年に集団移転しました。
知る歴史 提供なし(自主取材)
第8回では岩船港の沿革をたどりました。ここでは、三面川[みおもてがわ]の上流に目を向けます。旧三面集落があったのは、県によると、奥三面ダム[おくみおもてだむ]建設地より上流約3キロの場所です。 下流側の三面ダム[みおもてだむ]とは、完成年も型式も別のダムです。
二つの県営ダムを混同しない
県の村上地域振興局の地域整備部によると、三面ダムと奥三面ダムの二つの県営ダムを管理しています。
下流側の三面ダムは、洪水調節、流水の正常な機能の維持、発電を目的とした多目的ダム(重力式コンクリートダム)で、昭和28(1953)年6月に完成した、県営ダムでは最も古いダム、と県は記しています。
上流側の奥三面ダムは、昭和42(1967)年の羽越水害を契機に、三面川流域の洪水防止、流水の正常な機能の維持、発電を目的として建設された多目的ダムで、平成13(2001)年10月に完成した、と市と県は書いています。県はアーチ式コンクリートダム、市は「新潟県では最初の放物線型アーチ式コンクリートダム」で高さ116メートル、と案内しています。ダム湖はあさひ湖と呼ばれます。
市によると、このダムにより三面川流域の水量をコントロールできるようになり、下流の三面ダムとともに、下流で暮らす人たちの生命と財産を守る役割を果たしている、とのことです。所在は村上市三面。2019年5月更新の市のページでは、村上駅から車で約1時間、朝日スーパーライン(県道鶴岡村上線)の途中にあり、磐梯朝日国立公園内に位置する、と市は案内しています。駐車場・トイレ・休憩設備あり、ともあります。料金や問い合わせ先は、この記事では書きません。掲載時点の案内です。
旧三面集落の暮らし
県の「旧三面集落の暮らしと移転」によると、旧三面集落は人々から「マタギの里」と呼ばれ、自分自身を山人[ヤマンド]と呼ぶほど、山にはぐくまれた暮らしだった、とあります。狩猟を主とし、クマやウサギなどを捕り、その昔はカモシカも冬の貴重なタンパク源として捕っていたようだ、と県は続けます(現在は天然記念物のため捕獲は禁じられている、ともあります)。春から夏はゼンマイやワラビなどの山菜、秋はマイタケなどのキノコを採取し、特に春は家族総出で山菜を加工するため、学校も「ゼンマイ休暇」で休みになったそうだ、というのが県の書き方です。稲作も行われ、自給自足と住民同士の助け合いの生活様式があった、とも記されています。
周辺との交流では、交通の発達が遅れていたことや、冬は朝日村(出典の表記)や村上市へ出るのに歩いて2日かかるなど、労力を考えると、峠を一つ越えた山形県小国町との交流の方が深かったようだ、と県は書いています。冬は交通が遮断されて集落が孤立し、急病患者をヘリコプターで運ぶなど苦労も多かった、ともあります。
「三面」の由来にはいくつかの説がある、と県は紹介しています。三面川・末沢川・猿田川の三つの川が合流する場所から「三つの川に面している」とする説、小池・高橋・伊藤の三つの名字しかなかったことから「三者が面[ツラ]をあわせる」とする説などです。平家の落武者が住み着いたという伝説も残る、と県は記しています。由来を一つに断定はしません。
昭和60年の集団移転と、メモリアルパーク
県によると、旧三面集落は42戸・150人の小さな集落で、奥三面ダム建設地より上流約3キロのところにあった、とあります。住み慣れた土地を去らなければならない人々は当初建設に反対したが、たびたびの洪水や夏の渇水に悩まされた三面川流域に住む何万人のため、そして自分たちの将来のため、土地を離れることに同意し、昭和60(1985)年にその歴史に幕を下ろした、というのが県の説明です。
このとき、旧三面集落の人々のほとんどが村上市松山地区に集団移転し、県のページ(2019年3月更新)には、現在も「村上市松山大字三面」として「三面」の名とともに生活している、とあります。主な移転先の内訳として、村上市松山地区33戸、豊栄市5戸、新潟市1戸、他新潟県内2戸、新潟県外1戸、とも記されています。
奥三面ダム貯水池の旧三面集落跡にはメモリアルパークが作られ、「三面ありき」の石碑が建てられている、と県は案内しています。ふるさとへの思いと、集落があったことを後世に伝えるためだ、とのことです。
市と県は、このダムの建設により、旧三面集落の「民族」と森林文化(原文の表記です)、さらには縄文時代を中心とした奥三面遺跡群が水没した、と書いています(県は「ダム湖の湖底に」と記します)。遺跡で発掘した土器などは、平成17(2005)年7月にオープンした「縄文の里・朝日 奥三面歴史交流館」で一般公開されている、ともあります。奥三面ダム建設事業は、平成17年5月20日にダム工学会より「平成16年度ダム工学会技術賞」を受賞した、と市と県は記しています。
つづく。次回は、奥三面遺跡群を取り上げます。
出典
出典・開示
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出典は、本文の最後の「出典」にまとめています。
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